サイパン慰霊の旅(1)バンザイクリフ

八月に入り、今年も終戦記念日を迎える。太平洋戦争が終戦を迎えたのが1945年、その前年には南方諸島の島々で、連合国軍との激しい戦闘が繰り広げられた。サイパン島もそれらの島の一つで、悲劇の島として名をとどめることになってしまった、悲劇を伴わない戦争などないけれど…

 

1944年6月15日に連合軍の上陸作戦が始まり、戦力で劣る日本軍は次第に島の北部へと追い詰められ、結局一ヶ月足らずで全滅した。日本の委任統治領だった当時、サイパン島には約3万人の日本人が居住していた。多くの民間人がこの戦闘に巻き込まれ、最北端のマッピ岬に追い詰められた人たちの中には、海に身を投げて自決した者も多かった。その最期の時、両手を挙げて「バンザイ」と叫びながら身を投じたことから、「バンザイクリフ」と呼ばれるようになったという。

 

 

その岬の周辺は、のちに平和公園として整備され、供養塔・慰霊碑などが建ち並んでいる。

 

 

 

2010年12月撮影

2021年08月04日|サイパン:サイパン